ボードワン博士像:上野公園設立提唱者の像
ボードワン博士像は上野公園内にある、オランダの軍医、ボードワン博士を顕彰する銅像です。
概要
ボードウィンが正しい表現です[Bauduin]。
江戸末期の頃、薩摩藩、長州藩を中心にした新しい政府軍と、徳川家を慕う彰義隊との間で寛永寺領域(現在の上野公園)を戦地に上野戦争(1868年)が勃発します。
この一帯はボロボロになり、上野の地には病院などが建設される予定でした。
ですが、ボードワン博士が公園を築くことを 提唱し、それが実現し、現在のような文化的な公園となりました。
新政府の重鎮であり、上野戦争で指揮を執った、大村益次郎の暗殺事件の時、ボードワン博士は、大村益次郎の治療もおこなっています。(益次郎は結局なくなりましたが)
長い間、上野公園にボードワン博士の胸像が顕彰されていたのですが、その像は、実は博士の弟のもので、2006年10月に本当の博士のものに、代えられました^^。
上野公園の一番の功労者を記念した胸像が長年別人であった、というのは、なんとも申し訳なく、「ボードワン先生ごめんなさい!」、てきな気持ちです・・・^^。
上野公園にある、他の銅像
ボードワン博士像 地図
スマートフォンでご視聴のかたは、指2本をあてるとスライドできます。
ズームアップすると、ボードワン博士の像の位置が表記されます。
関連サイト
蘆花恒春園(ろかこうしゅんえん) | |
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東京都世田谷区、蘆花恒春園を紹介するサイトです。明治大正期の小説家、徳富蘆花が現代に残してくれた公園です。徳富蘆花の当時の屋敷が多くの自然と共に残されております。 |